新役員に抜擢の加地Pは面接で嘘?過去には浮気も?

テレビ朝日ホールディングスの取締役会にて内定した役員の異動について発表し、「アメトーーク!」「ロンドンハーツ」などのエグゼクティブプロデューサーを務める“加地P”こと加地倫三さんが新任の役員待遇となることが発表されました。

バラエティー番組好きには有名な加地Pですが、その経歴は意外と知られていないですよね。
そこで詳しく調べてみました。

加地Pが担当する番組って?

ます、現在の加地Pの担当番組をおさらいしましょう。

どの番組もバラエティー番組好きは一度は見たことある番組ですね。
『霜降りバラエティー』は2018年M-1王者の霜降り明星の初・冠番組としても注目されましたよね。それも加地Pが担当されていたんですね。

加地Pは正式には加地EP?

“加地P”のPはプロデューサーのPですが、現在、加地倫三さんの役職はエグゼクティブプロデューサーです。なので、“加地EP”が正式なのですが、その昭和スタイルのテレビマンな人柄から多くの人から親しみを込めていまだに“加地P”と呼ばれているようです。

加地Pのテレビマンとしての歩みを調ベてみました

略歴

1992年:テレビ朝日へ新卒入社しスポーツ局配属
~1996年:スポーツ番組『ワールドプロレスリング』ディレクターを担当
1996年~:編成制作局に異動してバラエティ番組の制作に携わる
2003年~:『アメトーーク!』を放送開始
2010年~:ゼネラルプロデューサーに昇格
2018年~:エグゼクティブプロデューサーに昇格
2020年~:役員待遇就任
加地Pは神奈川県横浜市出身で、上智大学外国語学部を卒業し、 1992年に上智大学からテレビ朝日へ新卒入社しスポーツ局配属となります。以後4年間はスポーツ番組担当として『ワールドプロレスリング』ディレクター、『全日本大学駅伝大会』総合演出等を経験したそうです。

そして、1996年からは編成制作局に異動してバラエティ番組の制作に携わる。バラエティでのADからディレクター時代にかけては『Q99』や『ナイナイナ』を手掛け、ナインティナインと深いかかわりを持ったそうです。

加地Pといえば、ロンドンブーツ1号2号や雨上がり決死隊のイメージがありますが、実はナインティナインとの親交も深かったんですね!

幼いころから憧れていたテレビマンのため、入社面接では嘘?

加地Pは幼い頃から、1週間に観た番組をスケッチするほどのテレビっ子だったそうです。

また、加地Pが昔からすごかったのは、テレビへの情熱だけではなく、その「柔軟性」でした。高校時代には、俳優のオーディションを受け、漫才がブームになれば漫才コンビを友達と組み、大学時代ではブームになっていたバンド活動も始めたそうです。また、当時の彼女に「男は女を養うもの」と言われて、「よし!大学へ行って就職だ!」と俳優の夢を捨て去ったそうです。
その後、大学卒業前にテレビ業界への夢を再燃させた加地Pは、バラエティ制作の現場を目指して、テレビ朝日に入社することになります。

入社面接では

「バラエティに行きたいと言ったら”どんな企画をやりたい?”と聞かれ、気に入らなかったら落とされる」

と案じた加地Pは

「スポーツをやりたい」

と言ったために、長らくプロレスなどのスポーツ番組を担当することになりました。
なので、最初はバラエティー番組ではなく、スポーツ番組を担当していたんですね。

しかし、「プロレスからバラエティ制作に必要な瞬発力や反射神経を学んだ」、と加地Pはその後に語ります。その場その場でしっかりと学ぶことを忘れないことが、今の加地Pを作ったのかもしれませんね。

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加地Pも実は浮気をしていた?まるでロンハー?

2015年1月発売の「女性セブン」で加地Pが当時30代後半のテレビ朝日若手女性プロデューサーと不倫関係にあることや、現妻との離婚裁判の準備中であることが、報じられました。

1998年にテレビ朝日で働いていた女性と結婚し、2001年と2005年には男児2人に恵まれていますが、次男が生まれた頃にはすでに不倫女性と関係を持っており、加地Pから何度か離婚の提案が切り出されたことがあったそうです。

しかし、加地Pの妻が「子供のために別れない」と頑なに離婚を承諾しなかったために、加地Pは、不倫相手の自宅を拠点とし、時々妻子のいる家に戻って来るという生活を続けてきたのです。