黒川検事長の経歴と定年延長から辞任までの流れをさくっとまとめてみた。

「#検察庁法改正案に抗議します」で世間の注目を集めた黒川検事長が週刊文春の電子版に緊急事態宣言の期間中に賭け麻雀をしていたことが報道されました。

これを受けて黒川検事長の辞任の意向が発表されました。

急に話題となり最後は本人自身の失態で幕を閉じることとなった今回の騒動をさくっとまとめてみました。

 

■黒川検事長の経歴と生年月日

 

黒川検事長は1957年2月8日生まれで現在63歳。そして、63歳は国家公務員の定年年齢でもあります。これが「検察庁法改正」案の議論の中心となる事実になります。

1981年に東京大学卒業し、司法修習35期になります。

1983年から検事に就任し、その後は東京地方検察庁検事、新潟地方検察庁、名古屋地方検察庁、青森地方検察庁等の地方検察庁に勤務をします。

その後、法務省に異動し、務省秘書課、同刑事局、同司法法制部の勤務などを行います。
そして次第に内閣

2001年12月、法務省大臣官房司法法制部司法法制課長
2005年1月、刑事局総務課長
2006年7月、大臣官房秘書課長
2008年1月、大臣官房審議官
2010年8月、松山地方検察庁検事正
2010年10月、大臣官房付に異動
2011年8月、大臣官房長
2016年9月5日、法務事務次官

そして、
2019年1月18日からは東京高等検察庁検事長として勤務されております。

約20年間もの間法務省勤務をし、官僚としてのトップ職である事務次官まで勤め上げていることもあり、内閣と蜜月関係にあったと言われてしまうのも仕方ないのかもしれないですね。
もちろん、黒川氏自身の能力も優秀であったことは確かでしょう。

■「#検察庁法改正案に抗議します」とは?

ツイッターで芸能人や有名人がハッシュタグとともに引用したことで、多くの人々の目にもとまり話題となりました。コロナ感染対策が最優先事項の中で国会審議や委員会を通さずの法改正が推進されることがよりこの抗議ツイートが広まる要因だったと言われています。

一部の方は誤解されているかもしれませんが、これは「反対」意見ではなく、きちんとして世論を反映した法改正でないことへの抗議です。高齢化により定年延長自体は世間の流れのため、極端な内閣の意思入れではないかもしれませんが、世論の代弁者である国会での審議なし、そして、この法改正の対象者が「黒川検事長のみ」という異質な改正タイミングがコロナ感染対策中のタイミングと相まってより世間の反対をあおったのも事実です。

 

■結局、改正されたの?

ツイッターの広まりを知っている方は多いと思いますが、結局は「検察庁法改正」はどうなったのかの結果を知る人は少ないのではないでしょうか。

結果としては、「法務省・検察側に頼まれてやった話だ。どうしても(今国会で)やらないといけない法案ではない」として、国会成立を見送る方針を固めました。

そして、

■文春砲により辞任へ

二転三転あった「検察庁法改正」騒動ですが、結局は黒川検事長の不祥事により辞任という幕閉じとなりました。

週刊文春の記事によると、黒川氏は1日と13日、東京都内の知人の産経新聞記者宅で、朝日新聞の元検察担当記者を交えた計4人で賭けマージャンをした疑いがあるという。黒川氏が記者のハイヤーで帰宅する様子も報じているそうです。